北海道胆振東部地震その影響 停電による物流麻痺 

北海道で9月6日の午前3時過ぎ、胆振地方中東部を震源として最大震度7の地震(北海道胆振東部地震)が発生した。
同地方を中心に大規模な土砂災害や家屋倒壊などの被害が発生したほか、道内最大級の苫東厚真火力発電所が停まり、北海道全域の約295万戸で停電が起きた。電力が復旧するまでのおよそ2日間にわたり、経済活動が麻痺する未曾有の事態となった。
このほか、道路や橋の損傷による交通障害なども起き、被害は広範囲にわたった。
札幌市清田区里塚では液状化による地盤沈下で道路や建物に被害が発生した。
物流事業者の多くは丸1〜2日の間、事業停止を余儀なくされ、不安な時間を過ごした。

停電の影響により、6日は道内の交通機関のほとんどが機能を失った。フェリーを例外として、道内発着のJR、新千歳空港、路面電車、地下鉄、路線バスなど交通機関のほとんどがストップ。道路では信号機がつかなくなり、高速道路や一部の一般道でも通行止めとなった。
経済・社会のライフラインを担う物流も多くの被害と混乱を被り、道内で物資の供給が止まった。
営業をしている一部店舗には、限られた物資を得るため買い物客が大勢押し寄せたほか、一部のガソリンスタンドや携帯電話の充電ができる携帯ショップなどでも数時間待ちの長蛇の列ができた。

物流事業者にとってとりわけ影響が大きかったのは停電だ。
停電は6日の午後から少しずつ回復に向かい、7日朝までに全道の4割程度、同日夜にかけてほとんどが復旧し、8日にはほぼ全戸が回復した。この間、事業所の電子・通信機器の利用が大きく制限され、広範囲で通信障害も起きた。停電発生当初はSNSなどを中心に活発に通信が行われていたが、そのうち不自由な状況となった。
事務所の機能が失われ、信号機がつかないなど道路状況が悪化したことにより、6日には早々に運行の全面中止を決めた事業者や、荷主などとの連絡がつかないため判断を決めかねる事業者も多く出た。
実際に道内の製造・卸・小売などほとんどの事業所・店舗が6〜7日にかけて営業を停止し、「信号がついていないので安全面を考え運行を中止する」「車両を出せなくもないが、積む・降ろす場所が動いていない」「燃料供給が制限され、運行が難しい」「伝票の発行が出来ないので運行できない」「倉庫のシャッターが開かない」といった事態も発生した。
物流事業者は通信が繋がりにくい中、SNSなどを活用し、信号機の状況や、給油できるスタンドなどの情報を共有する姿が見られた。

北海道胆振東部地震に対し、物流事業者の被害や業務の対応状況はどのようなものだったのだろうか。
液状化が酷かった札幌市清田区里塚の航空貨物を扱う事業所では、事務所が泥に埋まり、コンテナが流されるなどの被害が発生した。しかし、こうした地震による直接的な被害は広範囲には及ばず、多くの物流事業者は停電の影響が大きく、「停電による物流麻痺」といった異例の様相を呈した。

JR貨物は6日、「北海道内を走行する列車は全て道内で運転を中止。本州と北海道の間を結ぶ列車についても運転を中止」と発表。9日未明から運転を再開し、本州と北海道とを結ぶ鉄道貨物輸送を再開した。
苫小牧港管理組合は苫小牧国際コンテナターミナルを6〜8日にかけて終日クローズと発表、9日から一部で利用可能となった。
ヤマト運輸、佐川急便、日本郵便など宅配大手はいずれも6日から北海道全域での集荷・北海道向けの荷物の引き受けなどを停止、配達も大幅な遅れとなった。

ロジネットジャパン(札幌市中央区)は7日、北海道内の集配について「安全及び停電の復旧等状況を確認しながら順次再開をはじめているが、まだ多数の地域で障害が続いている状況」と発表。
松岡満運輸(同白石区)は10日、北海道全域で7日より一部地域を除き配達のみ再開、集荷は8日より徐々に業務を開始。10日より「北海道全域において集配業務は一部地域を除き通常業務を行っている」「本州受託貨物は通常配送を予定」と発表。

アイスクリーム・冷凍食品などを扱う北海道物流開発(札幌市西区)の斉藤博之会長は「大型の冷凍倉庫は施設の扉を開閉しなければ1週間程度の温度保持が可能で、在庫している大量の商品に問題はなかった。6日5時30分に従業員に自宅待機を指示し、停電が復旧した8日から倉庫内で自動倉庫の荷崩れ、棚ずれ、スタッカークレーンのレールの歪みなどの確認に入った。11日朝には全アイテム中20%くらいは各店舗に納品できる段取り」とする。
また、「店舗ではフローズンの商品が全て廃棄となり、北海道から冷凍品が消えた。これを全て受注すると全道の店舗が新規オープンするのと同様の状態となり、運ぶことは可能だが、出荷拠点がパニックとなる。当面は一定程度の売れ筋商品や必要最低限の商品を小売チェーン本部が絞り込み、それを運ぶ。正常化するには1週間程度かかるのではないか」とし、「運ぶ人も車両も燃料もあったが、発地・着地とも電気が通じず、ほぼ全ての納品が4日間とまった。情報がなくて業務が進まず、改めて我々物流業は情報がキモだと体感した」と話す。

本州向けの冷蔵品を扱う江尻運送(茅部郡)の江尻昌聡専務は「直前に来た台風21号の影響で長距離のフェリーに乗れず、陸送が長くなりドライバーに負担をかけていた。関西でも向こうの台風被害によりしばらく積み荷を降ろせず、そのような中で地震が起き、こっちでも降ろせない状況となった。車両に積んだままの状態が続き、10日にやっと降ろせた」とし、「このような状況でもドライバーは『運べる』と言ってくれ、仕事を全うする姿勢に熱くなった」と話す。

輝運輸札幌営業所(札幌市豊平区)の下田敬夫所長は「6日は積み置きしていた車両が3台あった。冷蔵品は店舗が営業停止のため全量持ち帰り、車両の冷凍機で24時間保管し、翌日納品にこぎつけた。荷主の要請で運行した別の車両は、信号が点かず安全が確保されない中で走ったが、納品先で受け取りが出来ず、最終的に3日かけて納品した。この間、SNSなどで同業者から情報をもらい、業界内のネットワークの重要性を改めて感じた」と話す。

共通運送(札幌市白石区)の佐藤敏美部長は「6日は出発している車両をすぐストップさせ、明るくなるまで待機させた。出荷先の野菜の選果場が停電で動かず、出荷もなくなった。事務所でもパソコンなどが使えないため、9時30分に従業員に自宅待機を指示。改めて電気の有り難さを感じた」と話す。

工藤商事(夕張郡)の工藤英人社長は「6日に車両に積み込んでいた配送は受け取ってもらえたが、この日から積み込みはできなくなり、ほとんど何もできなかった。スタンドもほぼ閉鎖し、地元の燃料会社に駄目元で駆け込むとローリー車で来てもらい、給油してもらうことが出来た。電気がなくて給油が出来ないというイメージはなかった」と話す。

弘和通商(札幌市東区)の山田慎也部長は「停電の復旧は割に早く、7日の1時30分に電気が戻り、倉庫に保管していた冷蔵・冷凍品の破損はなく、他社の荷物の保管に協力もできた。7日から納品できた店舗もあれば、受け入れできずに商品を廃棄する店舗もあった。一部で1週間程度ストップする配送業務もあり、傭車を含めた補償をどうするかといった話が今後出てくる見通し」と話す。

本州からの冷蔵・冷凍品の輸送を行う三豊(小樽市)の外山裕樹部長は「停電により商品が降ろせなくなり、10日にようやく11台中9台で降ろすことが出来た。その間、車両の冷凍機で商品を冷やしていたが、軽油が尽きそうになり、その責任を誰が取るかという話にまで及んでいた。インタンクから何とか手動で給油ができ事なきを得たが、何台が商品全損になるかという不安を感じた。それと同時に何とか納品することが出来たという誇りも学んだ」と話す。

タートルロード(札幌市北区)の西川一樹氏は「荷主からは待機の指示しかなかった。信号が点かないので8日まで全車とめて、9日から少しずつ動き、本格的な稼働は10日からとなった」と話す。

武田運輸(札幌市東区)の武田一貴取締役は「停電のためインタンクから給油できず、他の車両からポンプで抜いて給油した。アナログの重要性を実感した」と話す。

建築資材・農業資材などを扱う日新運輸(旭川市)の森俊一社長は「荷主と連絡がついたところは運行したが、6割方ストップした。納品先の市場では食料供給の使命感が強く、電気が点かない中、各車両が協力してヘッドライトで現場を照らしながら業務を行い、『絶対に届ける』という思いを感じた。運べるし、荷物もあるが、受け入れ先に電気がなくて仕事が出来ないという事態が発生すると学んだ」と話す。

丸吉運輸機工(北広島市)の吉谷隆昭社長は「停電で仕事にならないと判断し、6日に休みの判断をした。一部、すでに出ていた車両があり、『荷主などと連絡がつかないから現場に行ってみた』ものの、現場に誰も人がいなかったため降ろせなかった」と話す。

流通大手の配送業務などを行うニコー流通(札幌市豊平区)の米村瑞穂常務は「信号がつかないので、6・7日は当社から荷主に『やめさせてほしい』と連絡した」と話す。

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