『北海道を支える物流』を元気にする会(相浦宣徳代表=北海商科大学教授)は1月18日、石狩湾新港企業団地連絡協議会主催の新年交流会で「将来につなぐ『2018.9.6』〜胆振東部地震・ブラックアウトで何が起きたか、物流事業者の視点からの課題や将来に向けた提言など」と題してパネルディスカッションを行い、同会のメンバーである北海道物流開発(札幌市西区)の斉藤博之会長、幸楽輸送(同清田区)の不動直樹社長、北海道フーズ輸送(同西区)の近江大輔経営企画・物流部長、ジャスト・カーゴ(石狩市)の清野敏彦社長、富良野通運(富良野市)の永吉大介専務、北海道物流ニュースを運営する玉島雅基記者の6人が登壇した(既報)。
9月6日に発生した同地震と北海道全域にわたるブラックアウトという未曾有の事態の際、「どのようなことが起きたか」「何が課題だったか」といった点について、物流業界からはこれほどまとまった形で情報発信することは、これまでほとんどなかったといえる。パネルディスカッションの詳細を掲載する。全2回の1回目。
斉藤)
本日ファシリテーターを務める『北海道を支える物流』を元気にする会で代表代行をしております北海道物流開発の斉藤です。昨年9月6日に発生した北海道胆振東部地震で被害を受けられたみなさまに心よりお見舞いを申し上げます。
この会は、北海商科大学で物流を研究している相浦宣徳教授が代表を務めており、「北海道の物流の状況を調べる際に基礎となるデータをつくろう」と一昨年アンケート調査を行ったのですが、その際に集まったメンバーで構成しています。この調査は昨年9月に「北海道物流実態調査報告書」としてとりまとめております。
本日は、テーマが少し重たくなりますが、震災・ブラックアウトの際、「何が起きてどう対応したか」「どうすべきだったのか」といった点について、物流の観点から話をさせていただくとともに、そのような話をみなさまからもお寄せいただきたいと考えております。
本日登壇しているメンバーは、「扱う貨物やエリア」「ノードとリンク」などすべて立場が異なっております。1巡目は各々の立ち位置から、震災・ブラックアウトの際、「どういうことが起き」「どう対応したか」という点について話してもらいます。2巡目は「では、どうすべきか」という提言について話してもらいます。
まず、当社の対応を簡単に紹介すると、主に冷凍品の扱っておりまして、9月6日の早朝5時くらいに道内の札幌、石狩、函館の各事業所から連絡があり、「商品を積み込む拠点の扉が開けられない」「納品先の冷凍庫が稼働していない」「店舗に届けた商品がだめになる」ということで、9日まで実質4日間、従業員は自宅待機とし、10日の朝から本格的に動きはじめました。冷凍品扱う事業者の多くは、同じような対応だったのではないかと思います。
不動)
幸楽輸送の不動です。当社は北海道コカ・コーラボトリングの関連会社で、事業所は本社含めて道内5か所、従業員は146人、171台の車を保有しています。1969年に設立し、今年でちょうど50周年を迎えます。50周年の企業を帝国データバンクで調べると、道内で930数社、輸送業なら50社くらいあるということです。扱う荷物のうち、コーラ関連は全体の半分を切っており、農産物の輸送など幅広く展開しております。コーラの輸送網が北海道の役に立てないか、ということを常に考えております。
当グループの飲料の道内の消費量は年間3千数百万ケース、1日あたりにすると10万ケースくらいです。1ケースはペットボトル換算で24〜25本なので、1日にだいたい250万本くらい道内で飲んでいただいています。これは、道民2人に1人が毎日飲んでいただいている計算になります。また、道内にグループの自販機は約5万台あり、この在庫は50万ケース程度です。震災等の際、飲料の供給は重要になりますが、自販機だけではとても供給が足りないことになります。
札幌市清田区にある親会社の大型の立体自動倉庫は、130メートル×80メートル、高さは30メートルの大きさです。ここにラックが2万個あり、1個のラックにはパレットで80ケースくらい載ったものが入ります。自動倉庫の中にだいたい200万ケースくらい、道内の消費量の1月分に満たないくらいの量が入っています。
自動倉庫の列が12あり、製品はなるべく崩れないようにダンボールを「レンガ積み」で保管しています。これは2003年の十勝沖地震の教訓によるものです。十勝沖地震の際、自動倉庫の中はひどいことになりました。多くの商品が落下し、コーラやファンタが膝くらいまで海のように貯まりました。この時は、パレット上での積み方が甘く、「棒積み」にしていました。30メートルの高さがあるので、落下した商品が炭酸により爆発し、破片等が飛び散って大変な状態になりました。積み方を変えてあったこともあり、今回はそこまでの状態にはならず、機械も壊すことはなく、その意味では先の地震の教訓が生きたと言えます。
自動倉庫内で荷崩れした製品ですが、これを手直ししなければ出荷ができません。下に落ちた破片などは従業員みんなで片付けましたが、20~30メートルの高さにある製品の崩れを直すのは簡単ではありません。十勝沖地震の際は、従業員が命綱をつけて直したのですが、今回は安全面を優先し、高所作業ができる業者に依頼しました。下の掃除は2〜3日で済んだのですが、高所の手直しには時間がかかりました。通電後、10日が経過したくらいには出荷ができるようになりましたが、自動倉庫を直すのには1ヶ月くらいかかり、その後、やっと正常に出荷できる体制に戻りました。
このほか、札幌市内に外部倉庫を借りており、この状況も説明します。ここは4階建の倉庫で、4階に製品を1000パレット、6~7万ケースくらい保管しておりました。このフロアは、パレット2段積みしかしていないので、破損していない製品の多くは出荷できると考えました。ただ、4階から製品を下ろすエレベーターが4基とも停電で動かなかったため、階段で下ろそうと考えました。1階下ろすのに10人くらい必要とわかり、親会社の協力も得て、バケツリレー方式により50人で製品を下ろして出荷しました。商品1箱でおよそ12kgです。はじめるときは「行くぞー」と元気にやっていたのですが、30分も経たないうちに「シーン」となりました。飲料水の「いろはす」のペットボトルは550mlで、日本茶の「綾鷹」は500ml、50ml違うと1ケースで1kgちょっと重さが変わります。そのため、「いろはす」がきたら「(重いのが)きたぞー」と呼びかけながら作業をしました。夕方にはエレベーターが動いたため、階段での出荷作業は午前中で済みましたが、50人で午前中いっぱいで500ケースを出荷しました。少しは飲料水等を出荷でき、コカ・コーラグループとして多少の貢献につながったのではないかと考えています。
近江)
北海道フーズ輸送の近江です。当社は道内で大手量販店への配送、食品メーカーの商品の配送、道外からJRコンテナを使いキノコなど食品の移入を行っています。グループ全体で350台くらいのトラックが動いており、傭車を含めると毎日500台くらいが道内を走っています。川下の物流に強みを持っています。
発災直後は現状を把握するため、各拠点に道路状況、営業所の状況、荷主企業の状況などの確認を行った後、状況をみて二次被害の発生を防止するために、全車両の運行停止を決定しました。当社は24時間運行しているため、運行中の車両がありましたが、これは運転者の安否を確認し、その場で停車させ、そのまま帰社するよう指示を出しました。一部、被害の少ない地方では、状況をみながら運行させた車両もありました。出勤した従業員については、下手に動いても危ないので、社内で待機させ、出勤前の社員については自宅待機としました。これが発災当日の状況でした。JRは貨物列車が停止したため集配を停止しました。JRは9日未明まで止まりましたので、この間、まともに仕事ができない状況となり、この部門の従業員も自宅待機としました。
運行停止の決定にいたるまでの過程で一番困ったのが、停電によって荷主企業とうまく連絡がつかず、このような特殊な状況の中で「どのように動けばいいのか」「どう判断すればいいのか」といった取り決めを事前に荷主企業と一切していなかったことでして、そのため、社内では「そもそも運んでいいのか」という話になり、荷主から「運んで欲しい」という指示があった場合でも、「どの店舗への配送を優先すべきか」「どの商品の配送を優先させるのか」といった判断基準がないため、「出荷する現場」「配送先」「荷主企業からの指示」で、齟齬がかなり生じてしまいました。「トラックは出せるものの、何をどこに運んでいいのかわからない」という状況が発生したのですが、平常時からそういった判断基準を設けておくことが重要だと感じました。また、荷主企業との関係だけではなく、社内でも災害時の運行ガイドラインについて、あらかじめ定めておくことが必要だと感じました。
このほか、停電の影響が大きかったのですが、発電機の準備がなかったため、電気を使用する機器が一切使えませんでした。影響が大きかったのは、通信設備の稼働ができないため、情報の収集と伝達が十分にできず、しっかりと動けない状況となりました。
食品を扱うので停電中も温度管理は重要でした。この間は冷凍トラックを代用して商品を保管したり、倉庫でも建物の仕様がよかったのか、一定程度、冷凍帯の温度を維持できました。マイナス25度の庫内温度が、3日目でもマイナス18度を維持でき、温度管理については荷主企業からお褒めの言葉いただきました。これによって、「このように造ればいい倉庫ができる」という発見にもつながりました。
地震翌日の7日は、ある程度のトラック稼働させたのですが、まだ信号が点いていなかったため、「事故を起こさない」「二次被害を出さない」ことを優先させ、ツーマン運行にしました。ただ、納品先が稼働していないという情報がしっかり伝わってこなかったため、「店舗に行ったけど納品できなかった」という無駄がかなり発生しました。それによりトラックの燃料も消費し、給油に2〜3時間くらい待ったあげく、一部しか給油してもらえないということも起き、副次的な無駄も多く発生しました。また、インタンクの設備を稼働させるために、急遽発電機をリースしました。
不幸中の幸いだったのが、IT化・オートメーション化が進んでいない倉庫があったため、停電後も商品の出荷に大きく影響を受けなかったことでした。庫内作業はトラックのライトや電池式のヘッドライトを利用し、人力でやり遂げました。
当社にとって、一番厳しかったのは、通電後に急激に発注が増えたことへの対応でした。8日からは、過去10年間の一番の繁忙期の2倍くらいの量の発注が来たため、トラックの増便が連発し、1〜2週間は対応が追いつかない状況となりました。ある乳業メーカーに11月に話をうかがったのですが、震災後2ヶ月が経過しても「まだ発注増加した商品が滞留している」とのことでした。あまり報道がされておりませんが、川下の物流事業者にとっては、「通電後に急増した荷物をどうさばくか」というのが新しい問題として検討が必要な大きな課題となりました。
清野)
ジャスト・カーゴの清野です。当社は石狩湾新港に本拠を構え、従業員75人、車両55台で事業を行っており、主に住宅関連の資材などを北海道内に運んでおります。住宅の建築資材などは、災害時に「どうしても必要」というものではなく、これまで発表のあった食品・飲料などとは扱っている荷物の性格が異なります。
発災時6日の朝は、まず社員とその家族の安否確認をし、社員と全員確認がとれたため、全社員が出社しました。連絡のつかないお客さまについては、信号がとまっていましたが、「とりあえず走らせる」よう対応しました。情報が少なく、道路状況などわからないため、「気をつけて行ってこい」と走らせました。サッシの配送も行っていますが、停電のため出荷先の自動倉庫が稼働せず、入出庫ができませんでした。また、クリーニングの配送も一部行っていますが、停電で工場が操業停止となったのですが、ホテルのリネンについては配送をしました。ただ、ホテルではエレベーターが動かないため、使用済みのリネンの回収はできず、新しいものの供給だけを続けました。経営者として、社員を守る責任があります。このような状況下で、「ドライバーを走らせるか、止めるべきか」という状況判断がうまくできず、反省材料となりました。
震災後、「何に困ったか」「何が問題だったか」というと、情報がとれなかったことです。石狩湾新港地域では6日は午後3時くらいまでは携帯がつながったので、スマホでの連絡やネットで情報入手ができたのですが、夕方になるとつながらなくなりました。会社の中では電波が全くつながらず、外に出ても電波のマークが一本立つか立たないかといった状況となり、通話もネットもできず、「どの道路が使えて、どこは走れないか」「どの現場には行けて、どこが行けないのか」などの情報がわからなくなりました。テレビやPCも使えず、携帯は充電がなくなり、その中で一番有力だった情報入手のチャネルは電池で使えるラジオでした。
また、私自身、運送業界団体の役員をしているので、このようなことをいうのも問題かもしれませんが、震災・ブラックアウトで全道が混乱している間、運送業界の団体としては、「うまく対応ができなかった」「何をしていいのかわからなかった」というのが本音ではないかと思います。また、同じように行政の対応もなかなか見えなかったと思います。業界団体では、道内の多くの自治体と災害時の緊急輸送の協定を結んでいますが、今回の震災では、この協定が機能しているのか、実態がほとんどみえませんでした。多くの事業所は10日から通常営業となり、滞留していた荷物が一斉に動き出し、「トラックが足りない」「協力会社にお願いしても足りない」といった状況になりました。このような中、業界団体では災害協定で協力する車両を事前に登録しているのですが、一斉にトラックが動き出したため、「頼まれても車両を出せない」という状況があったと思います。
永吉)
富良野通運の永吉です。当社は富良野市が本社で、札幌市では東雁来に支店があります。主に富良野管内でとれた野菜を道内外に配送しているほか、肥料、飼料、石油の配送などを行っております。道外にはJRコンテナやRORO船を使って運ぶことが多いのですが、震災が起きた時期は、ちょうど農産物の収穫期で当社にとって繁忙期が始まる時期でした。
震災の前、前日まで台風21号がきており、その話からさせていただきます。この台風は、25年ぶりに非常に強い勢力で9月4日に日本に上陸しました。関西国際空港では高潮が襲い、タンカーがぶつかって連絡橋が大きく破損するなど、関西地方に大きな打撃を与えました。5日未明には北海道にも日本海側から接近し、札幌市では最大瞬間風速32.8メートルを記録して、道内で倒木や一部で停電も発生しました。JRは函館地区で架線が切れて、北海道—本州間の輸送が全休し、震災の前から大きな混乱が生じていました。地震発生の前の日から列車は止まり、出荷は全面的にできない状況でした。
このような状況で6日朝に地震が発生し、お客様の選果場は停電と復旧後の点検などで日曜日までストップしてしまい、台風と併せて5日間くらいは列車の輸送力を含めて業務が止まりました。停電は復旧したものの、土曜日の明け方まで北海道—本州間の線路が使えず、JRでの輸送ができないという期間が続きました。
JRがようやく動き出した後でも、農産物の輸送の繁忙期なので、JR貨物の大谷地ターミナルに全道各地から荷物が集まって滞留し、10日まで荷物をさばくことが難しい状況でした。11日からようやく北海道—本州間の輸送は平常通りに戻ったのですが、当社が活用しているJR根室本線の滝川—富良野間は20日まで運休し、北海道—本州間よりも10日ほど遅い復旧となりました。その間、代替輸送のためにトラックを探しましたが、初期の段階では燃料の確保が難しく、かなり苦労して輸送を行いました。通常通りの出荷体制に戻るまで2週間ほどかかりました。
農産品出荷が旺盛になるこの繁忙期は、北海道から本州に約12フィートコンテナで2000個、約1万トンが毎日送られています。富良野から出荷される農産品の約6割が鉄道コンテナで出荷され、最大でコンテナ120個発送されています。この秋は例年の2〜3割収穫が減ったこともあり、最終的に何とか出荷に対応できたので「苦労したね」で終わったのですが、例年通りの収穫となった場合にこのようなボトルネックが再度発生したと思うとゾッとします。本州向けの農産物を送れないということは、逆から見ると、全国から北海道に供給される物資も届かないということで、そうした物資がなくなるという事態も想定されます。今回は台風、地震のダブルパンチに見舞われましたが、今後もそういう事態が発生することは容易に想像できます。北海道は、自然との戦いがキーワードとなり、JR輸送網の体制強化、シャーシ輸送を含めた代替輸送のあり方など、物流のBCP(事業継続計画)に真剣に取り組む必要があると考えます。
玉島)
物流産業新聞社の玉島です。「物流WEEKLY」という新聞の北海道担当の記者をするとともに、今年度から「北海道物流NEWS」というWEBサイトを運営しております。こちらは北海道の物流に特化した現状日本唯一のニュースサイトで、今回の震災に関連する記事も多く掲載しております。私は今回、様々な事業者から取材した事例について報告したいと思います。
震災時、「何が起きたか」という点につきまして、これまでの話でかなり論点が出たのではないかと思います。私も様々な事業者に当時の対応や課題などを聞きましたが、震災後、「何が起きたか」「何をしたか」という点については各社各様でした。
震災後も「動いた」という事例では、「6日の朝から何の指示もしていないのに全員が普通に出勤し、通常通りに業務を行った」という事業者がおりました。この事業者は、「信号が点いていないことくらいで業務を止めるなんて考えられない」「信号の向こう側に待っている消費者がいる。何があっても商品をお届けするのが我々の使命だ」と話しており、これは物流会社として非常に強い使命感を持っている事例だと思います。
一方で、「止まった」という事業者も当然多くおりました。その理由は色々あり、「車での出勤が危ないと判断し、自宅待機を命じた」という事例、「出荷先や納品先が停電で稼働できず、仕事にならないと判断し休みを決めた」という事例、「荷主や納品先から『休んでほしい』と指示を受けた」という事例、「信号が点かないので運行が危ないと判断し、自主的に休んだ」という事例、このほか、「燃料の調達ができない」「倉庫の扉が開かない」という事例もありました。
事業者に話を聞いた範囲では、「全面的に動いた・止めた」というわかりやすい事例だけではなく、「積み置きしていたものだけは納品した」、「荷主から指示があったものだけ運行した」、「荷主からの指示を待つために会社で長く待機をしていた」といったケースも多かったかなという印象です。
ある事業者からは、「商品が降ろせなくなり6日から10日までの5日間、冷凍車の庫内で商品を保管し、軽油が尽きそうになり、商品が溶けたらその責任を誰が負うのか」という話を荷主とするにまで及んでいたという話を聞きました。この事業者は、自社の燃料のタンクから手動で給油をしながら商品を保管し、11日になってなんとか納品できたということで、「トラック何台分の商品が全損になるか」という不安が続いたと話しておりました。そのような中でも、本州にいる荷主の担当者は「『とにかく頑張ってくれ』としか言わなかった」と苦笑いをしておりました。
また、「積み荷の降ろし先の担当者を呼び出し、無理やり降ろしてきた」という強気の事業者や、SNSなどで「うちで給油ができるよ」と同業者に発信する事業者もおりました。
今回の震災では、「店舗などに商品がなくなった」ことを受けて、一部報道などで「物流がストップした」と広く言われましたが、「荷主の運行指示」「出荷先の稼働」「運行ルートの安全性」「納品先の稼働」のいずれにも異常が起きたために物流が混乱したというのが正確で、「多くの物流事業者は物理的には動けたが、自社以外の要因によって、正常に稼働する環境になかった」という状況だったと思います。これまでの話にあった通り、物流事業者は「動くか・動かないか」という判断が「自社だけでは」できにくいという構造があります。物流は「扱う商品は基本的にお客様に所有権があり」、「発注する荷主」によるオーダーあり、「出荷する拠点」「運行する経路」「納品する拠点」といったそれぞれの要素があり、これらのどこかが正常でなくなれば、通常の業務ができなくなってしまうことにつながります。そのため、「荷主の運行指示」「運行ルートの安全性」「出荷先・降ろし先の稼働」といった「自社以外の要因」が揃っていなければ、物流事業者は単独ではやれることが多くはなく、今回の災害がまさにこれにあたってしまいました。
また、事業者から多く聞いたのが、「荷主の指示」に基づいて動いたが「降ろし先で降ろせず戻ってきた」という話です。商品を供給する上で「どこで」「何が」起きているか、といったことが分からないまま、荷主が「とりあえず出荷指示」をしたケースです。これは有事の際、大変無駄かつ危険だと思います。
誰がサプライチェーンをコントロールすべきか、という点は様々なケースがあるかと思いますが、少なくとも有事の際は、情報を正確に把握し、迅速に提供できる主体が主導すべきと考えます。その意味では、物流は商品の「発地・着地」や運ぶ「経路」の情報の全体を得やすい立場にあり、有事の際、物流の視点がより反映できれば、物資の供給の面でよりスムーズになることが多いかと思います。