丸吉ロジ 吉谷社長「鐡人ブログ」10年間毎日更新終了

丸吉ロジ(北広島市)の吉谷隆昭社長は10年間にわたり毎日更新してきたブログ「鐡人ブログ(スタート当時は「鉄人ブログ」)を3月31日で終了した。
10年間の毎日更新は予定通りで、計画を全うした。どんなに多忙な際でも、体調不良の際でも欠かさず更新を続け、その数は実に3653回に及んだ。
自社の取り組みや物流業界の動きのほか、自身の生い立ちや価値観などを長文で丁寧に説明する骨太な内容で、「丸吉10年史」と「吉谷社長の経営哲学・人生観」を凝縮させたテキストといえ、熱心な読者も多かった。
どうやって10年もの間書き続けられたのか。そこで得られたもの、今の心境などを聞いた。

「鐡人ブログ」のスタートは2011年4月1日。きっかけは社長に就任して間も無く作成した中長期経営ビジョン「経営羅針盤」。会社の将来目指す姿と、そこに至るまでの具体的な取り組みを詳細に記したもので、同社経営の根幹を担っている。ここに「ブログの毎日更新」の項目を盛り込んだ。
「経営羅針盤を作成するために勉強を重ねる中、トップ自らによる情報発信が、対外的なアナウンスや社内のベクトルを統一するといった効用があると学んだ。目指す会社の形につながる取り組みの1つと考え、毎日更新すると決め、内外に宣言した」。

欠かさず更新できたのは、「自分の意志が弱いことを知っていたから」だと逆説的に説明する。「何かを続けることができない人間だったので、生半可な覚悟では絶対に続かない。だからブログや名刺などに『毎日更新』と明記して多くの人に知ってもらい、自分を追い込んだ」とし、「その怖さがわかっていなかった。『もう一回同じことをやれ』と今言われても絶対に無理。ブログ執筆に充てる時間が多く、家族にも負担をかけた。無知のパワーだった」と振り返る。

それからの10年間で同社は規模、営業エリア、業態、事業上の強みが大きく変化。ブログスタート当時は従業員60人、北海道中心のトラック輸送と工事をメーンに行っていた地場の運送会社だったが、現在は従業員・売上高とも倍増、北海道、関東、東北に拠点を構え、トラック輸送のみならず、鉄に関する3PL・モーダルシフトを大きな武器としている。近年は物流効率化法を積極的に活用、社名も丸吉運輸機工から丸吉ロジへと変えた。経営羅針盤に描いた姿の多くを実現させた。

ブログ連載を終えた今、何を感じているのか。「10年間毎日更新を続けると『何かとんでもない景色』が見られると思っていたが、最後の更新を終えると、事前の想像とは異なる感情に襲われた。『やりきった』『惜しい』といった気持ちはなく、不思議な清々しさがあり、『ただ淡々と普通の朝を迎えた』」という。

毎日更新を続ける中で、会社や自分自身を俯瞰して見られるようになり、「同じ言葉を使い出している」と気づいてからは、「自分がどのような人間か、どのような価値を重視しているか」を改めて認識した。それは「変革志向」「0から1を創り出すのが好き」という側面で、「自分がそういう性質の人間とは思っていなかった」と話す。また、以前は「誰からどのように評価されているかを気にしていた」が、発信や主張を続ける中で「自分の中に『軸』ができ、周りの評価を気にしないようになった」とも。

トップがブログで社内外に継続的かつ明確に情報発信することは、多くのメリットがあると強く実感した。主な利点として、「会社の歴史や足跡をしっかりと後世に残すことができ、従業員の家族が自分の親の働く姿を見られる場所となる。人材採用力の強化やSEO対策にも大きな効果を発揮する」と説明。
また、「アウトプットを続けることで、インプットの質が確実に上がるほか、続けるという習慣が身につき自分の自信につながる。継続の力・宣言の力・イメージの力など大切な価値観を見つけることができ、自分が大切にしていきたい生き方や使命が明確になる」と強調する。

最も印象に残っている投稿について聞くと、「ネタがない時に、深夜2時か3時頃に点呼風景を撮りに事務所に行き、点呼執行者の仕事ぶりについて書いた。すると後日、ブログをたまたま見つけてたその従業員の娘さんから『父は自宅では仕事のことはほとんど話さず、これまでどのような仕事をしているのか、気にしていなかった。(ブログに掲載された)写真もいい笑顔で、うちではそのような表情を見せることはなく、今回、仕事中の父の姿を見ることが出来き、嬉しかった。』といったメールが届いた。こういった反応がやりがいにつながった」と話す。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする